2013年1月17日木曜日

Value of the Raspberry Pi (1)

自分に取っての、Raspberry Piの価値を考えてみたいと思います。

私は、学生の実習で紙テープでローディングするコンピュータ(HITAC 10-2)に触れてから、かれこれ30年近くコンピュータを使ってきました。自分の仕事の為に、数値計算のプログラムを作ったり、GISのシステムを作ったりしました。また、ソフトウエア商品を作り、多くのユーザに活用していただきました(今も、退職した会社のソリューションビジネスのCore商品です)。担当した事業のグローバルシステムの構築も、多くの国籍の方と作ってきました。その意味で、コンピュータは私の仕事にとっては無くてはならない道具でありました。そしてまた今「自分の農作業を楽にするためのロボット」を開発していますが、それもコンピュータの塊です。
ちょうど、私が過ごしてきた期間は、コンピュータのハード性能が著しく発展した時期であり、同時に産業や社会にコンピュータが密接に組込まれた時期です。そして、今やコンピュータが無ければ、社会生活も成り立たない時期になっています。
その時期を過ごしてきた人間また技術者としてRaspberry Piを、「道具」としてのコンピュータとして、自分なりに考えてみたいと思います。それを通じて、見えてくるコンピュータと人の関係も整理したいと思います。

1. コンピュータは、道具
そもそも、コンピュータは「道具」です。「道具」と言う分類においては、金槌と同じです。家をたてる時に、金槌で釘をうたないと構造材を固定する事が出来ません。釘を手で打つ事は出来ません。また石で打っても10本目には石は割れてしまうでしょう。金槌という道具があり、初めて家を建てる仕事が業として成り立ちます。ただし、物事には何でも極端な例があり、釘を頭で打って、その芸でお金を貰っている人がいます。普通の人には出来ない?、やりたくない事なので、自虐的な芸になっています。金槌が、ハードな事をする道具という、一般のコンテキストの合意によって成り立つ芸です。
自転車は、「道具」と言う分類において、もっとコンピュータに近いかもしれません。自転車という道具を使って、2つの地点を人間が歩くより早くしかも、荷物とともに移動する事が出来ます。コンピュータは、人を送受信する事は重くて出来ませんが、「データ」送受信の端子になれます。また、部品を集めて自分用の自転車を作る事が出来ます。コンピュータも部品を購入して作れます。道具を自分で作る事が出来ます。これも、極端な例があって、「俺は、自転車だ!」と言う人がいるかもしれません。手をグルグル回し、口に車輪をくわえて、パンツにサドルをテープで張っているかもしれません。しかし、私は会った事がありません。でも、それでは他の人を載せれないし、第一、乗っている人だった楽じゃありません。

しかし、ここで大切なのは、道具は、目的を達成するために使われるという事です。
金槌は、構造材を固定する釘をうつ為に、、、
自転車は、早く楽に移動する為に、、、
では、コンピュータという道具を使う目的は何なのでしょうか?

この回答は、非常に難しい事です。それは、「コンピュータ」あまりにも定義をされずに使われてきており、コンピュータを「触った」人の数だけ定義ありそうだからです。
例えば、プログラマーの人は、「飯の種」と答える人もいれば、「世界一、有名になる事を夢見させてくれる道具」と言う人もいるかもしれません。
また、例えば原始林の奥地に済む人で、初めて携帯電話を持った人は、「知らん」と言うでしょが、「携帯電話の中身は、コンピュータだよ」と言えば、「携帯電話」が彼にとってのコンピュータです。金融のディーラーに言えば、「お金を作る道具」と言うかもしれません。小さな利益の取引をコンピュータによる超高速な売買回数により巨額のお金にかえる道具です。
自転車には、道具にそんな多くの定義は無いでしょう。ましてや、金槌にも。。。
「コンピュータが、大好きでも触っていたい」と言う人にとって、一日という時間をつぶす為の「道具」でしかありません。
しかし、あくまでも、コンピュータは道具でしょう。

しかし、いま、このコンピュータが道具であると言う「認識」いえ、「認識する行為」があまりに無くなってきているように思います。
道具という「認識」さえも無くなっているのでは無いでしょうか?
それは、ある意味不幸の始まりかもしれません。
ひょっとすると、地面の裏側には、 過去に地上を破壊して、地中に閉じ込められた大魔王が居て、地上の世界に戻る為に、コンピュータ菌という病気を撒いているのかもしれません。あなたは、最近、下を見て歩いていませんか?

続きは、また。

peace!

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