コメントの方のご要望に応えて、僕の卒論、
「長野県過疎集落(2000集落)35年間の動態分析」について、説明します。
ただし、簡単には、説明できないので、複数回に分けてご説明します。
僕って、優しいよね。なんちゃって。!(^^)!
1.なぜそのような事をしたのか?
それは、古島敏雄さんが、書かれた「土地に刻まれた歴史」を読んで、
数百年、いえ1000年 営々と続いた人々の努力を知りたくなったからです。
長野県の栄村には、山の間を縫うように水路が作られています。
小さな谷を横切るときには、サイホンの構造にもなっています。それが、土木機械もない
数百年前に、手作業で作られています。そのような努力が日本の至る所にあり、
それによって米作が行われて、多くの人が養われました。国土が成り立ちました。
その人達の努力をたどりたかったのです。
最近、世界遺産でいろいろな事や場所が取り上げられています。
僕は、この日本のなかに、千年以上もかけて作られた、精密な農業水利網なくして、
国土は成り立たなかったし、そんなすごい水利を持っているのは日本しかないので、
この農業水利網と、それを維持した事も該当するのではないかと思います。
そして、維持するためには、人力を超えた自然と向き合わなければならず、その過程で、
自然を敬い、自然と一体となるために、「八百万の神」の信仰が自然発生的にうまれ、
日本人の精神を形成したと思います。
大学2年に研究室に入り、先生や先輩について沢山のフィールドワークをしました。
アルバイトをしてお金を貯めては、一人でもフィールドワークに行きました。
最初は、純粋に農業土木の範疇でしたが、フィールドワークをしているうちに、
人の居なくなった、過疎の実態を目にすることになりました。
また、そこで暮らす人の話を伺ううちに、
「日本の農業政策や、農協活動の矛盾を知ることになりました。」
「農協が、白菜を作ると、言うので、白菜をつくると、連作障害でつくれなくなる。
残るのは借金。次に、今度は牛が儲かる。それで借金をして、牛を飼う。
しかし、搾乳した乳を収集場所まで運ぶのに、山道を1時間かかり体を壊してやめて。
また、借金が残った。結局、土木で働いて日銭でかえした。
なぁ、大学の学生さん、なぜ、こんなことになるのか?教えてくれ。
なぜ、こんなことが続くんだ。」
そんな話が沢山ありました。彼らも、学生の私に言ったところで、何にもならない事は
知っていたのだと思います。でも、誰かに、聞いてほしかった、、、、、
そういう事を、言われる僕達も、正直たまったものではありません。
フィールドワークから、宿舎に帰ると酒を飲まずにいられない事も多く、耐えられずに
専攻を変えた仲間もいました。
当然、役場などにもヒアリングにいきますが、役場も役場で一生懸命やっているが、
成果が出ない事に、同じ村に住む仲間として、悩んでいる事を知りました。
若者は、村から都会に出ます。
親は止めません。同じ苦しみを味あわせたくないから、、、
農業水利の調査をしながら、毎日そのような実態を知ることになり苦しかったです。
19歳の僕が、60歳の方の人生を聞きながら、思っていたのは、
「早く、終わってほしい」でも、
彼が、だれからも、聞かれる事の無かった、自分の人生を話している顔は、
人生初めての満足のような笑みを浮かべていて、、、
僕は、そこから離れる事ができなかった。
もう2度と、彼は、誰からも人生を聞かれる事はない、2度と、、、
ごめんなさい、思い出してしまい、書けなくなってしまいまいした。
つづく